がん治療の精密化に新知見:遺伝子異常の影響はタンパク質量まで伝わりにくい?

がん治療の精密化に向けた新たな発見

近年、がん治療は患者さん一人ひとりの遺伝子情報に基づいた「精密医療」へと進化しています。この治療法は、DNAの遺伝子変異がmRNA(遺伝子からタンパク質を作るための設計図)の発現を変化させ、さらにタンパク質の量や細胞の機能に影響を与えるという考え方が基盤となっています。

しかし、この遺伝子変異の影響がDNAからmRNA、そしてタンパク質へと、どの程度一貫して伝わるのかは、これまで詳しく分かっていませんでした。この疑問に対し、新潟医療福祉大学医療情報経営学部健康データサイエンス学科の中野永講師は、7種類のがん・754症例のデータを統合解析する画期的な研究を行いました。

マルチオミクス解析で分子間の情報伝搬を定量化

本研究では、「マルチオミクス解析」という手法が用いられました。これは、ゲノム(全遺伝子情報)、mRNA発現量、タンパク質量、リン酸化(タンパク質の働きを調整する化学変化)といった、複数の分子階層の情報をまとめて解析する高度な技術です。

中野講師は、このマルチオミクスデータと「バイオインフォマティクス」(コンピュータを用いた生物学的データ解析)を組み合わせることで、がんの原因となる「ドライバー遺伝子異常」(がんの発生や進行に直接関わる遺伝子の変化)の影響が、mRNAを経てタンパク質量までどの程度伝わるかを定量的に評価する独自の指標を開発しました。

ドライバー遺伝子異常からタンパク質量への情報伝搬の定量化を示す棒グラフ

遺伝子異常の影響がタンパク質量まで強く伝わるのは約6%

解析の結果、86の遺伝子・がん種の組み合わせのうち、評価可能だった83組において、ドライバー遺伝子異常の影響がmRNAを経てタンパク質量まで強く伝わっていたのは、わずか5組(約6%)にとどまることが明らかになりました。このことは、多くのドライバー遺伝子異常では、その影響がタンパク質量まで一貫して強く伝わるとは限らないことを示しています。

ただし、この結果は、遺伝子異常ががんにとって重要ではないという意味ではありません。タンパク質の量が大きく変わらなくても、その働き(活性)や細胞内での位置、他の分子との結合、分解、リン酸化などを通じて、がんの性質に影響を与える可能性があるからです。本研究では、これらの機能的な影響までは直接評価していません。

研究の流れと主要結果を示すフロー図

精密医療の未来へ:多角的な評価の重要性

この研究成果は、がん治療の標的や「バイオマーカー」(病気の指標)を評価する際に、遺伝子変異の情報だけでなく、mRNAやタンパク質量、リン酸化といった、より多くの分子階層の情報を総合的に評価する必要があることを示唆しています。

中野講師は「多くのドライバー遺伝子異常では、その影響がmRNAやタンパク質量まで一貫して強く伝わるわけではないことが分かりました。今後は、遺伝子異常の影響がどの分子階層で弱まり、あるいはタンパク質量の変化ではなく、活性や修飾などの形で現れるのかを明らかにし、治療標的やバイオマーカーのより適切な評価につなげたい」とコメントしています。

本研究で構築された解析枠組みは、今後、独立したデータや実験的検証を重ねることで、より効果的で個別化されたがん治療の開発に向けた重要な基盤となることが期待されます。これはまだ研究段階の成果ですが、将来、私たち一人ひとりに最適な治療法を見つけるための大きな一歩となるでしょう。

原論文情報

  • 論文名: Pan-cancer quantification of driver alteration transmission across molecular layers reveals limited propagation to protein abundance

  • 著者: Hisashi Nakano

  • 所属: Department of Health Data Science, Niigata University of Health and Welfare

  • 掲載誌: International Journal of Cancer (国際対がん連合(UICC)の公式学術誌)

  • 出版社: Wiley

  • DOI: 10.1002/ijc.70657

研究者情報

  • 新潟医療福祉大学 健康データサイエンス学科 講師: 中野 永

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