難治性がん「悪性中皮腫」に新たな治療の光
アスベストへの曝露が主な原因として知られる悪性中皮腫は、治療が難しいがんです。しかし、この難病に対する新たな治療薬開発の可能性が、東京工科大学応用生物学部の村上優子教授らの研究グループ(日本大学文理学部の早川一郎教授、名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所の佐藤綾人特任准教授らとの共同研究)によって示されました。
研究グループは、悪性中皮腫の原因遺伝子の一つであるBAP1(BRCA1-associated protein 1)に変異を持つがん細胞にだけ選択的に作用する低分子化合物「Z250-1659」を見出し、その活性の鍵となる光学異性体(エナンチオマー)を特定しました。この成果は、2026年8月26日に国際学術誌「Bioorganic & Medicinal Chemistry」オンライン版に掲載されています。
がん細胞特有の弱点を狙う「合成致死」
悪性中皮腫の原因遺伝子の多くは、がんを抑える働きを持つ「がん抑制遺伝子」です。これらの遺伝子に異常が起きることで、がん細胞が増殖しやすくなります。研究グループは、この遺伝子異常を利用してがん細胞だけを狙い撃ちする「合成致死」という治療戦略に注目しました。
専門用語解説
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BAP1(BRCA1-associated protein 1): DNAの修復や細胞の増殖など、さまざまな細胞機能に関わる重要な「がん抑制遺伝子」の一つです。悪性中皮腫では、BAP1の機能が失われる遺伝子変異が非常に高い頻度で見られます。
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合成致死(Synthetic lethality): それぞれ単独では細胞に致命的な影響を与えない2つ以上の遺伝子や分子の機能異常が組み合わさることで、その細胞が生存できなくなる現象です。がん細胞特有の遺伝子異常を狙って、正常細胞には影響を与えずにがん細胞だけを攻撃する治療戦略として、現在注目されています。
研究の目的は、BAP1に変異を持つ悪性中皮腫細胞に選択的な増殖抑制活性を示す低分子化合物(比較的分子量が小さく、医薬品として開発されやすい化合物)を探し出し、その活性の正体を探ることでした。
Z250-1659の「S体」が中皮腫細胞に選択的に作用
研究グループは、名古屋大学ITbMが保有する化合物ライブラリーをスクリーニングし、BAP1変異を持つ悪性中皮腫細胞に選択的に作用する低分子化合物「Z250-1659」を発見しました。このZ250-1659は「ラセミ体」と呼ばれるもので、S体とR体という2種類の「光学異性体」が1対1で混ざった状態です。
専門用語解説
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光学異性体(エナンチオマー): 同じ原子から構成され、化学的な結合の仕方も同じなのに、立体構造が互いに鏡像関係にある分子のことです。S体とR体のように区別され、化学的にはよく似ていますが、生体内では異なる作用を示すことがあります。
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ラセミ体: 光学異性体であるS体とR体が、1対1の割合で混合している状態の化合物を指します。
研究では、このS体とR体をそれぞれ合成し、BAP1変異を持つ悪性中皮腫細胞への作用を比較しました。その結果、(S)-Z250-1659がBAP1変異細胞に対して非常に強い増殖抑制活性を示す一方で、(R)-Z250-1659の活性は著しく弱いことが明らかになりました。

図1:Z250-1659の光学異性体S体(左)とR体(右)におけるBAP1変異中皮腫細胞に対する活性
さらに、BAP1を再び導入した細胞ではS体への感受性が低下したことから、S体の作用がBAP1の状態と密接に関連していることが示唆されました。これらの結果から、Z250-1659がBAP1変異細胞に選択的に作用する能力は、主にS体によってもたらされていることが判明しました。
将来への期待:副作用の少ないがん治療薬開発へ
今回の研究で、BAP1変異を持つ中皮腫細胞に選択的に作用する化合物について、特に活性を担う光学異性体が明らかになったことは、がん治療薬開発において非常に重要な一歩です。
何がすごいのか?
従来の多くのがん治療薬は、がん細胞だけでなく正常な細胞にもダメージを与えてしまうことがあり、これが副作用の原因となっていました。今回の発見は、がん細胞に存在する特定の遺伝子異常(BAP1変異)を「鍵」として、それに合う「鍵穴」のような化合物(S体)で選択的に攻撃する可能性を示しています。これにより、正常細胞への影響を最小限に抑えながら、効率的にがん細胞を死滅させる、より副作用の少ない新しいがん治療薬の開発につながると期待されます。
今後の展望
研究はまだ基礎段階ですが、今後はこのS体がBAP1変異細胞の増殖をどのように抑制するのか、その詳しい分子メカニズムや標的分子を解明することが課題となります。そして、より効果的な化合物の開発に向けた研究が進められることでしょう。この発見が、悪性中皮腫に苦しむ患者さんにとって、未来の治療選択肢を広げる大きな希望となることが期待されます。
論文情報と関連リンク
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掲載誌: Bioorganic & Medicinal Chemistry
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論文名: Synthesis and biological evaluation of optically active Z250–1659 as a synthetic lethal agent against BAP1-deficient mesothelioma cells
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著者名: Tomohiro Tsutsumi, Airi Wada, Hikari Yamamoto, Momoko Sato, Sana Tsukioka, Mengshi Qiu, Koya Suzuki, Ayato Sato, Yuko Murakami-Tonami, Ichiro Hayakawa
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掲載日: 2026年8月26日
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論文全文URL: https://authors.elsevier.com/c/1ngY03S7ZkHCFH (2026年10月16日まで無料公開)
東京工科大学応用生物学部 腫瘍分子遺伝学(村上優子)研究室
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研究室ホームページ: https://murakami-lab.bs.teu.ac.jp/
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東京工科大学プレスリリース: https://www.teu.ac.jp/press/2026.html?id=225



